私は以前から老子の思想が好きでした。
大して分かってもいませんでしたが、
分かったようなつもりでいました。
意味はいまいちわからなくても、
なんかしっくりくる、というような感じでした。
私は覚醒体験後しばらく、
自分に起きたことを人には話しませんでした。
正確には、話せませんでした。
人には理解してもらいない、という想いもありましたが、
どう言葉にして良いか、表現が見つからなかったからです。
どう表しても、それは私の体験とは違うものになるのです。
道(タオ)だった!
ある日、ふとしたきっかけで自宅にあった老子の本を開きます。
そして自分の体験が「道(タオ)」であることを知りました。
そして老子もそれを「言葉で表すことはできない」と言っているのです!
初めて、あの体験と言葉が一致しました。
そして、老子に無理なら私には無理ってことで間違いない!
と確信を得たのでした(笑)
今こうして文字にしていますが、
当然ながら文字は「それそのもの」とは別物です。
読んで、頭で理解できるものではないからです。
知識と経験と
老子はまた
学問を志す者は
日に日に物事を身に付けようと目ざすが
道(タオ)を志す者は 逆に
日に日に無益な知識を捨て去り
無為の神髄に到ろうと
努力するのである
とも言っています。
ここまで読んでいただいて何ですが(笑)、
知識を得ることをやめ、自分の中に答えを探しに行くことも必要なんですね。
私の場合は体験が先だったので、
伝えるために必要だった知識を持っていませんでした。
知識を得ても、やはり言葉では私の体験を表せないとも思います。
学ぶことと感じること、知識と経験、
これらのバランスが大事なんですね。