ai's story

〜意識の探求者〜

話を聴くということ

人の話を聴くとはどういうことか、ネットにはたくさんのマニュアルがあるようですが、正解はありません。

 

私は精神科でたくさんの相談を受けてきましたが、それぞれのケースに同じマニュアルが適用されるはずはありません。

時折、死にたいと言われたらどうしますか?と聞かれることがありましたが、それこそ「そんな時はね〜〜したら良いですよ」なんて答えは存在しません。

 

まずは、相手がなぜ今その話を私にしてくれるのか、という視点が必要です。

アドバイスが欲しいのか、共感してほしいのか、背中を推しでほしいのか、ただ吐き出したいのか……

 

 

アドバイスっている?

 

人の話を聞きながら、アドバイスしたくなる人とか、相手の話の途中で分かった気になって割り込む人がいますが、そこには相手が何を欲しているかという視点がないですよね。

 

アドバイスをしたいのは自分です。

相手がそれを聞きたいかどうかは別なんです。

「相手のために」というのはエゴです。

アドバイスをするなら、自分が言いたいから言う、と自覚してください。

例え言いたくても、相手のペースを考えると今は言うタイミングではないな、ということもあります。

自分の中に「言いたい」という感情があることに気付いていてください。

 

相手のことが分かった、と思うこともエゴです。

本当の意味で相手を理解できることなどありません。

だからこそ、分かろうという姿勢が必要なのです。

ただ、相手が言わんとすることが分かった、という時は、こういうこと?と確認することはあります。

 

 

答えは自分の中にある

 

アドバイスされたことは、「なるほど、、」と頭で理解していても人はなかなか受け入れられません。

或いは、分かったような気になりますが、響いてはいないことが大半です。

本当に解るときは、「腹落ち」するのです。

「腑に落ちる」とも言います。

つまり、頭ではなく「腹」なのです。

 

いくら答えを求めて本を読んでも、人からアドバイスされても、「腹落ち」しなければ自分のモノにはなりません。

その意味では、人は自分の中にすべての答えを持っているのです。

 

相談を受けるとき、相手は自分で答えを出せる、と信じる視点はとても大切だと思います。

「私がアドバイスしてあげなくてはならない人」という視点で見ていると、相手は自分の中の答えには辿り着けません。

 

相手の考えや行動に対して「それは~~だ」とジャッジすることも、相手の考えや行動を否定することになるので、相手は無意識に構えてしまいます。

本当に話を聞くことができる人って、相手が無防備になって自分の中の答えを見つけられる安心感を抱かせるのでしょうね。

 

相手に興味を持って一生懸命に聞く、という姿勢は伝わります。

傾聴の仕方などのスキルを学んでも、この姿勢がないと本末転倒です。

その「やり方」を意識することで話を聞く姿勢が少しでも損なわれるなら、形だけのスキルなど気にしなくても良いと思います。

 

 

最後に、ミヒャエル・エンデ著『モモ』からの抜粋をご紹介します。

私はモモのようでありたいと思います。

 

モモがものすごく頭がよくて、なにを相談されても、いい考えをおしえてあげられたからでしょうか?なぐさめてほしい人に、心にしみることばを言ってあげられたからでしょうか?なにについても、賢明でただしい判断をくだせたからでしょうか?

ちがうのです。

 

小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。

でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。

 

モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、きゅうにじぶんの意志がはっきりしてきます。ひっこみじあんの人には、きゅうに目のまえがひらけ、勇気が出てきます。不幸な人、なやみのある人には、希望とあかるさがわいてきます。