ai's story

〜意識の探求者〜

抵抗と依存を手放す ~うつ病を例に~

私は精神保健福祉士として、精神科の診療所などで働いていました。

精神科には、何年も何十年も通い続ける方が多くおられました。

もちろん、回復していく方もおられます。

 

私自身もうつ病だった時期があります。

しんどい時はトイレに行くのもやっとたったので、水分摂取も控えて寝ていました。

正直、あの頃の記憶はあまりないです。

そして数年前まで睡眠薬を飲み続けていました。

今や、そんなこともあったね~、という話ですけどw

 

 

うつ病、回復する人としない人の違い

 

 

症状を主観と客観から見ると、自分も含めて、回復する人って何が違うのか分かってきました。

 

 

この世界の原則の一つが「すべては流れている」ということです。

抑うつの状態だけでなく、全てのことは流れに身を任せていれば変わっていくのです。

 

その状況に抵抗してる、または依存していると流れは止まります。

 

  嫌だなぁ、、辛いなぁ。。

  なんでこんなことになるんだ!

  こんなことも出来ないなんて、なんてダメな人間なんだ、、

  家族に心配ばかりかけて、、早く何とかしないと(焦り💦)

 

これらの想いは抵抗です。

 

 

或いは、自分でははっきり認識していなくても、

 

  治ったら働かないと、、でもまたしんどくななぁ

  病気だと家族が優しくしてくれる(ちょっと嬉)

  

これらは今の状態が自分にとって何らかのメリットがあると感じているわけです。

つまり、今の状態に依存している、ということです。

 

 

かと言って、感情を我慢したり、想いを抑え込まないでくださいね。

 

肝心なのは、「諦め」です(笑)

ただ現状を受け入れる、ということ。

焦って治癒するものではありません。

「これではだめだ」「こうしなければ」という気持ちを手放して、症状を観察してください。

 

不安な気持ちになるのも、自分がダメ人間のように思えるのも、「症状」です。

ネガティブ思考が出たら、

「めっちゃ自分を責めてるな、、出たな!症状!!」

くらいが良いのです。

 

そして、どんな時に症状が出るのかを観察してください。

 

 

頭であれこれ考える時間を減らしてください。

瞑想をして考えを手放す、自律訓練法で身体に意識を向けるなどしてみてください。

 

 

症状に巻き込まれないことが大事です。

 

 

回復を信じる

 

 

もう一つは、自分は回復すると信じることも大切です。

もちろん疑いたくなる時もあるんですけど。

私は回復する患者さんも見てきているので、うつ病が治る病気であることを知っていました。

SNSなんかでは、うつ病は治らない病気、と定義している人たちもいます。

 

自分は治らないんだ、と思ったら治りません。

もちろん、潜在的に治りたくないと思っている人も同じです。

 

 

現状を変えたいなら

 

 

うつ病などの症状に限らず、望ましくない現実が続いているときは、それに対する抵抗や依存が潜んでいることが多いです。

それは執着とも言います。

 

そして、自分はこの現状を変える、としっかり腹を括れていないからその状況が続いているのです。

 

今、自分にどんな気持ちがあるのか、注意深く観察し、気づいてください。

瞑想を続けていると手放しやすくなります。

 

または、アバターコースを受けるのが一番の近道です。

 

 

 

 

自分と向き合うには

今日はとても実践的で分かりやすいお話をしたいと思います。

 

実は私は精神保健福祉士として精神科の医療機関等で15年ほどソーシャルワーカーをしていました。

精神医学や心理学はそれなりに勉強もしたし、現場での症例もたくさん見てきました。

そして今は、意識についても学び、実践しています。

 

今日は、スピリチュアルでも良く言われる、「自分と向き合う」ための一つの方法をご紹介します。

 

 

 

アルバート・エリスのABC理論

 

エリスのABC理論

 

例) ○○さんが私に「えー!バカじゃん」と言って笑ったので、私は腹が立った。

 

この場合、   

A:出来事 = 〇〇さんが私に向かって「バカじゃん」と言った

C:感情 = 腹が立った

 

ということになります。

 

多くの人は、

〇〇さんが私をバカにしたから腹が立ったんだ、

自分に起こった感情の原因は○○さんにある、と考えます。

 

でも、本当にそうでしょうか?

だとしたら、相手が変わらない限り、この腹立ちはどうしようもありません。

 

「腹が立つ」という感情が起こったのは、「B:価値観・信念」があるからだ、というのがこの理論です。

 

この場合、

B:価値観・信念 = 私は○○さんより優れている

            私は結構優秀な人間だ

 

というようなことでしょうか。

 

 

もしも

B:価値観・信念 = ○○さんはいつも正しい

            私は何をやっても上手くいかない

 

というような想いがあれば、C:感情は、「落ち込む」になっていたでしょう。

 

abc理論 例

 

或いは、大阪人は

アホ = 突っ込み

バカ = 本気の悪口

という感覚があるので怒るかもしれませんwww

 

 

つまり、同じ出来事でも感じ方が違うのは、「B:価値観・信念」があるあからなのです。

自分の価値観や信念がフィルターとなっているため、感情が起こるのです。

 

 

 

自分の価値観や信念に気付きましょう

 

 

「子どもがちっとも言うことをきかない」との苛立ちには、

「子どもは大人の言うことを聞くものだ」という信念がありませんか?

 

日常の中に、自身の価値観に気付ける機会はたくさんあります。

感情が動いたら、まず起こった出来事だけを書き出してみましょう。

出来事はそれ以上でも以下でもありません。

ただ起こるだけです。

それに対してどんな感情を持つかは自由なのです。

 

なのにいつの間にか設定したフィルターのせいで、

好ましくない感情に飲み込まれるなんて不自由ですよね。

 

 

腹が立ったことを相手のせいにするのって、自分は被害者でいられるので楽ちんです。

でもそれって、「この怒りは自分ではどうすることもできません」ということです。

つまり、他者次第。

自分の責任を放棄している状態です。

この怒りが自分のどんな価値観からきているのかを探ることは、自分の感情に責任を持つということでもあると思います。

 

 

まずA(出来事)とC(感情)を書き出してみてください。

それからC(価値観・信念)は何だろう…と自分の中を探ってみてください。

 

    A.出来事     (          )

      ↓

    B.価値観・信念  (          )

      ↓

    C.感情      (          )

 

感情が起こるたびにこれを続けていたら、

自分の感情に飲み込まれずに客観的に眺めることができるようになっていきます。

 

 

自分は今、何を感じ、そこにはどんな価値観があるのか。

いつもその視点を持つことが、自分と向き合うことの一つです。

 

 

「今・ここ」と過去生

これまで何回か、過去世について書いてきました。

 

そしてそれらは私の魂が生まれ変わってきた私だけの記憶ではないということもお伝えしました。

 

で、今さらながら、過去とは、過去世とは、というお話です。

 

 

時間と人間の心

 

 

人間の心は、時間を把握するために「過去・現在・未来」という流れを創り出しています。

でも私の感覚では、「すべてが今ここにある」という感じです。

 

この世界は、できた瞬間から、すでに全てが完結していました。

あらゆる時間軸の無数の可能性も、すべてがもう創られているのです。

「今・ここ」にすべてがあります。

人間の心は、過去や未来を創り出して、人生というストーリーとして経験しているのです。

存在する、ということは、時間を創り出すということです。

 

過去や未来も「今・ここ」に無数にある。。。

「今・ここ」が過去や未来を創り出すとも言えます。

 

 

過去生というストーリーの意味

 

 

今を生きている私には、いわゆるメンタルブロックのような規制や価値判断がたくさんたくさんありました。

 

それらはなぜあるのか?どこから来たのか?

の答えの一つが過去生のストーリーでした。

 

例えば、

「目立ちたくない。人の前に立ちたくない」

という想いは、過去生の紛争で亡くなった兵士だった時によるものが大きかったようです。

前線の穴の中で、ここから出たら死ぬ、と怯えていました。

恐怖でいっぱいでした。

 

でもそれらは「今」の私が創り出した過去のお話。

 

「今」あるのは「目立ちたくない」という想いです。

この想いの成り立ちとして出てきたのが内戦でなくなった兵士。

別に他のストーリーでも良かったのかもしれませんw

 

「目立ちたくない」という想いが「今」を生きる上で妨げになっているのであれば、別に過去世を知らなくても、その想いのエネルギーを消滅させれば良いのです。

 

そのやり方はいろいろあるとは思いますが、アバターコースを受けることは近道だと思います。

 

宇宙人的感情と人間の醍醐味

宇宙人、地球にて

 

少し前のことですが、マヤ展に行きました。

 

テレビなどでの特集を見ているとゾワゾワしてたので、人間ではないときに関わってたんだろうとは思っていました。

 

そして実際、会場を廻っていると思いのほか早い段階で、胸がいっぱいになって涙が出てきました。

平日で人は少なく、ひっそりと、、(笑)

 

私は宇宙の暦を教えていました。

私は人間を、人間の営みを愛していたのに、人間同士は争い、愛した人々が生贄として死んでいく。

死そのものは生の裏の状態というだけ。

でも、想いを遺し、死してなおこの世に留まる魂は痛ましくて苦しい。

 

私はそんなつもりで地球にきたんじゃない。
こんな感情は知らない。
胸が痛い。苦しい。。。

辛い感情でした。

 

人間のエゴを増大させようとする、私たちとは別の勢力も地球には存在します。

他の種族とは合わない!嫌いだ!

とも思ってました。

 

そんないろんな感情を知ることが「辛かった~!」という想いも持っていました。

 

人間になる前からいろんな感情を抱えていたようですw

 

 

人間の醍醐味

 

やはり感情というのはやっかいなんですね。

でも、幅の広い感情を持てるのも、人間の特権!

 

地球に来る前は、多幸感に溢れていました。

いつまでも。。。。

 

 

退屈です、、

退屈という感情があったわけではないですがw

 

 

幸せとは感じられない状態を知っているから、自分は幸せだと感じられるんです。

苦しさや悲しみを知っているから、人の優しさに気付けるんです。

 

その両方を味わえる!人間の醍醐味ですね♬

 

神社にて‥‥と、過去世の捉え方について

先日、意賀美神社に呼ばれて行ってました。

 

 

そこは1年ほど前にも訪れたことがあり、ゼロ磁場として知る人ぞ知る場所でした。

友人がラインで写真を送ってくれた時に、ここに行く!という気持ちになったのですが、当時の私は絶賛骨折中(しかも足)だったので、車で連れて行ってもらいました(笑)

 

その時は素戔嗚尊に、「神々と共にこの地を創った」と言われました。

 

ふ~ん、でした(笑)

素戔嗚尊はそうなんでしょうねぇ、とw

 

その後しばらく経ってから、近所の八坂神社(摂社)で、「神々と共にこの地を創った」というのを想い出せ、と言われました。

 

?そーなの??

という感じでしたが、ハタと、これって主語が素戔嗚尊ではなくて私ってこと!?と気付きました。

確かにいつも、主語が神様自身であることはないので。

ということは、私が神々と共にこの国を創った、、、?

 

 

そうなると想い出されるのが、「まれびと」のような存在だった時の記憶というか感覚です。

 

「まれびと」とは、民俗学者で国文学者でもあった折口信夫(1887-1953)が提唱した概念で、神の国である常世からやってきて人間と交流する存在です。
「稀に来る人」という意味だそうです。

ある時出てきた感覚というのが、、、

「時間」と「空間」をダイヤルを合わせるように設定して、時空を破るように出てきたのが、神社の境内の一隅でした。
本殿は左の方にあって、掃き清められた境内が見えています。
建物の角、縁側の下からの目線でした。

なんでここ?という中途半端な場所でした(笑)

 

それがどこなのか、過去なのか未来なのかも分かりませんが、面白い感覚だったのでよく覚えています。

 

あれは何だったのかな~と思っていたら、たまたま見かけたテレビ番組で「まれびと」の説明をしていて、これか!!と感じました。

 

 

で、やっと最初に戻りますが、、

先日意賀美神社に行ったときには、「空間を破る」と言われました。

 

そして、ふと目線を向けた先は、本殿の左側、縁側の下でした。

 

空間を破って来たのって、ここだったのか!

 

日本のどこかだと思っていましたが、意外と近かった~!(笑)

 

こんな感じで布石の回収が続いています。

 

 

ちなみに、、、

まれびとの感覚や過去生も、「私の記憶」として記していますが、個人的な記憶だとは思っていません。

例えば過去生であれば、一つの生が終わるとその魂は分散されて複数の人の記憶となるとも言われています。

同じ過去生を持つ人が複数いるわけです。

あるいは、記憶というのも情報としてその辺に漂ってる、、、と言う人もいます。

いずれにせよ、私が「想い出した」と感じている記憶や感覚も、わたし個人のものというより、集合的なものだと捉えています。

過去生の物語 ~捨てられた女の子~

夢に顕れた過去世

 

ある日、夢を見ました。

私は普段、夢を見たとしても覚えていることがないので、その生々しい夢はずっと頭にこびりついて離れませんでした。

登場人物の顔も表情も、とてもはっきりと覚えています。

 

山あいの村か小さな集落のようなところで、私は5歳の女の子でした。

私は自分が死ぬと知ってました。

死ぬということがどういうことか分かっていませんでしたが、みんなを助けるためたので、誇らしい気持ちでした。

その前日に、何かの儀式で両手首を切り落とされることになっているので、私は切り落とされることそのものよりも、手がなくなったらお水はちゃんと飲めるのかなぁ、ということを心配していました。

え?その前に痛いやん!とか突っ込みたくなりますが、そこら辺は夢なので、、、(笑)

 

外に出ると近所の顔見知りのおばちゃんとすれ違ったので、いつも通り挨拶しましたが、おばちゃんは気まずそうに眼を逸らしてしまい、まともに顔を見てくれません。

なんかつまんないの~、と思いました。

 

 

と、ここまでが夢。

その日は一日、あの夢は何だったんだろう?と思いながら過ごしました。

仕事の帰りの電車で本を読んでいたら、答えが分かりました。

あれは私の記憶か!と。

 

そう認識すると、その過去生が見えてきました。

ちなみに、私はそんなとき、お風呂の中で繋がることが多かったです。

 

 

夢の続き‥

 

山の中。

樹が生い茂るところまで、たぶん親だと思うのですが、大人に連れてきてもらい、そこから一人になりました。

日が暮れてくると怖くなりました。

夜の山は初めてで、大きな木がざわざわと揺れるのが恐ろしいのです。

でも私は助けられました。

お稲荷さんが来てくれて、ずっと一緒に居て、遊んでくれたのです。

最期に見たのは、遠くにある木漏れ日でした。

横たわっていたのでしょう。

 

お稲荷さんのおかげで、私はその人生に、寂しさや恐怖を遺さずに済みました。

 

恐らく飢饉の際の口減らしだったのではないかと思います。

そして、手首の切断って何なのか‥は分かりませんw

 

 

遺された想いと今生

 

その人生で遺していた想いは、

「本当はもっと生きたかった」

ということ。

 

私は特に小学生の頃、生きているという感覚が希薄でした。

いざとなったら死ねばいい、と潜在意識でもなんでもなく、くっきりはっきり思っていました。

転校が多かったとはいえ、生死にかかわるような辛いことなんて何もなかったし、それなりに友達もいたし、「いざとなったら」が何を指すのか、自分でも分かっていませんでしたが、、

謎の覚悟を持っていましたw

 

 

神様との繋がり

 

その過去生が出てきた後、近所の神社の稲荷社を御参りしていたら、「ありがとうって言いたい」という、とてもとても強い想いが出てきて泣きました。

神社で泣いている人を見かけても、そっとしておいてくださいね(笑)

 

その後から、神社に行くと神様にメッセージをもらったりするようになりました。

相談に行くと、気づかせてくれたり後押しをしてくれたりもします。

とってもお世話になっていますw

 

過去生から続く物語 ~龍とともに~

引き続き私の過去生に纏わる物語ですが、なんと現在にも引き継がれていました。

 

 

3回目の沖縄旅の後、通常運転の日常を送っていたある日。

知り合いのイベントを手伝い、終了後の懇親会に参加しました。

たまたま隣の席にいた男性と話が合い、また後日お話しましょう、ということで解散しました。

後日オンラインで話をしたのですが、どんどん深い話になって止まらず、時間があっという間に過ぎていきました。

彼は「最近色んな人から、あたなは龍ですね、と言われることが多い」と話していました。

私には、彼のどこが龍なのかは全然分かりませんでしたが(笑)

 

一か月ほどの間にたくさんの話をして、お互いのことを知った頃。

 

私は突然、彼のハイヤーセルフにアクセスしました。

というか、多分ハイヤーセルフなのでしょう(笑)。

それが何かはよく分からないけれど、そうなった、という感じです。

圧倒的に強く大きな父性的エネルギーでした。

 

私たちはずっとずっと一緒だった、と伝わってきました。

 

私がノロだった時、彼は龍でした。

琉球王朝時代の数百年間、人としての私が何度生まれ変わっても、ずっとすっと一緒だったのです。

強い繋がりを感じました。

 

 

そして、私はその龍と共に力を封印されたのです。

 

その顛末は前回のお話に書きました。

blog-of-ai.hatenablog.com

 

 

自分の力が足りないせいで彼をも封印されることになってしまった、申し訳ない、謝りたい、、

という想いが溢れてきました。

 

で、とりあえず現在の彼に連絡して、泣きながら謝罪しました。

彼は黙って聞いてくれていたけれど、「???」だったでしょうね(笑)

 

でも、龍の封印物語はこれで終わったわけではありませんでした。

 

 

龍との関係が分かってから一年以上経ったある日。

知り合いの催眠術師が出演するイベントに誘われて行き、そこで出逢った男性と雑談をしていました。

その方は過去生カウンセリングをされているということで、私は少しだけ自分の過去生を話しました。

手を触っても良いですか?と聞かれたので了承すると、見えたイメージを教えてくれました。

 

私が水晶を手に入れる。
龍の彼にも一回り小さな水晶買って私が渡す。
すると想い出す。

 

というようなことでした。

水晶は街のお店で売っているようなもので良いが、穴の開いていない球だとのこと。

 

それから私の水晶探しが始まります。

ドラゴンボールか!と思って楽しかったですが、そんな水晶ってなかなか売ってないんですね。

 

で、実は最近やっと2つ揃ったので、1つを龍の彼に渡しました。

残念ながら、その瞬間に何かが起きる、というようなことにはなりませんでしたが(笑)

でもその後から、私の意識の統合がグーンと進んでいます。

封印が解けたのかどうかは分かりませんがw

 

 

先日、星読みをされている知人に、龍の彼との相性読みをしてもらいました。

「ソウルメイトという言い方もできますが、要は腐れ縁ですね」

と言われました(笑)

そりゃ何百年も続くご縁だもの、腐れ縁ですよねww