夢に顕れた過去世
ある日、夢を見ました。
私は普段、夢を見たとしても覚えていることがないので、その生々しい夢はずっと頭にこびりついて離れませんでした。
登場人物の顔も表情も、とてもはっきりと覚えています。
山あいの村か小さな集落のようなところで、私は5歳の女の子でした。
私は自分が死ぬと知ってました。
死ぬということがどういうことか分かっていませんでしたが、みんなを助けるためたので、誇らしい気持ちでした。
その前日に、何かの儀式で両手首を切り落とされることになっているので、私は切り落とされることそのものよりも、手がなくなったらお水はちゃんと飲めるのかなぁ、ということを心配していました。
え?その前に痛いやん!とか突っ込みたくなりますが、そこら辺は夢なので、、、(笑)
外に出ると近所の顔見知りのおばちゃんとすれ違ったので、いつも通り挨拶しましたが、おばちゃんは気まずそうに眼を逸らしてしまい、まともに顔を見てくれません。
なんかつまんないの~、と思いました。
と、ここまでが夢。
その日は一日、あの夢は何だったんだろう?と思いながら過ごしました。
仕事の帰りの電車で本を読んでいたら、答えが分かりました。
あれは私の記憶か!と。
そう認識すると、その過去生が見えてきました。
ちなみに、私はそんなとき、お風呂の中で繋がることが多かったです。
夢の続き‥
山の中。
樹が生い茂るところまで、たぶん親だと思うのですが、大人に連れてきてもらい、そこから一人になりました。
日が暮れてくると怖くなりました。
夜の山は初めてで、大きな木がざわざわと揺れるのが恐ろしいのです。
でも私は助けられました。
お稲荷さんが来てくれて、ずっと一緒に居て、遊んでくれたのです。
最期に見たのは、遠くにある木漏れ日でした。
横たわっていたのでしょう。
お稲荷さんのおかげで、私はその人生に、寂しさや恐怖を遺さずに済みました。
恐らく飢饉の際の口減らしだったのではないかと思います。
そして、手首の切断って何なのか‥は分かりませんw
遺された想いと今生
その人生で遺していた想いは、
「本当はもっと生きたかった」
ということ。
私は特に小学生の頃、生きているという感覚が希薄でした。
いざとなったら死ねばいい、と潜在意識でもなんでもなく、くっきりはっきり思っていました。
転校が多かったとはいえ、生死にかかわるような辛いことなんて何もなかったし、それなりに友達もいたし、「いざとなったら」が何を指すのか、自分でも分かっていませんでしたが、、
謎の覚悟を持っていましたw
神様との繋がり
その過去生が出てきた後、近所の神社の稲荷社を御参りしていたら、「ありがとうって言いたい」という、とてもとても強い想いが出てきて泣きました。
神社で泣いている人を見かけても、そっとしておいてくださいね(笑)
その後から、神社に行くと神様にメッセージをもらったりするようになりました。
相談に行くと、気づかせてくれたり後押しをしてくれたりもします。
とってもお世話になっていますw