ai's story

〜意識の探求者〜

神社にて‥‥と、過去世の捉え方について

先日、意賀美神社に呼ばれて行ってました。

 

 

そこは1年ほど前にも訪れたことがあり、ゼロ磁場として知る人ぞ知る場所でした。

友人がラインで写真を送ってくれた時に、ここに行く!という気持ちになったのですが、当時の私は絶賛骨折中(しかも足)だったので、車で連れて行ってもらいました(笑)

 

その時は素戔嗚尊に、「神々と共にこの地を創った」と言われました。

 

ふ~ん、でした(笑)

素戔嗚尊はそうなんでしょうねぇ、とw

 

その後しばらく経ってから、近所の八坂神社(摂社)で、「神々と共にこの地を創った」というのを想い出せ、と言われました。

 

?そーなの??

という感じでしたが、ハタと、これって主語が素戔嗚尊ではなくて私ってこと!?と気付きました。

確かにいつも、主語が神様自身であることはないので。

ということは、私が神々と共にこの国を創った、、、?

 

 

そうなると想い出されるのが、「まれびと」のような存在だった時の記憶というか感覚です。

 

「まれびと」とは、民俗学者で国文学者でもあった折口信夫(1887-1953)が提唱した概念で、神の国である常世からやってきて人間と交流する存在です。
「稀に来る人」という意味だそうです。

ある時出てきた感覚というのが、、、

「時間」と「空間」をダイヤルを合わせるように設定して、時空を破るように出てきたのが、神社の境内の一隅でした。
本殿は左の方にあって、掃き清められた境内が見えています。
建物の角、縁側の下からの目線でした。

なんでここ?という中途半端な場所でした(笑)

 

それがどこなのか、過去なのか未来なのかも分かりませんが、面白い感覚だったのでよく覚えています。

 

あれは何だったのかな~と思っていたら、たまたま見かけたテレビ番組で「まれびと」の説明をしていて、これか!!と感じました。

 

 

で、やっと最初に戻りますが、、

先日意賀美神社に行ったときには、「空間を破る」と言われました。

 

そして、ふと目線を向けた先は、本殿の左側、縁側の下でした。

 

空間を破って来たのって、ここだったのか!

 

日本のどこかだと思っていましたが、意外と近かった~!(笑)

 

こんな感じで布石の回収が続いています。

 

 

ちなみに、、、

まれびとの感覚や過去生も、「私の記憶」として記していますが、個人的な記憶だとは思っていません。

例えば過去生であれば、一つの生が終わるとその魂は分散されて複数の人の記憶となるとも言われています。

同じ過去生を持つ人が複数いるわけです。

あるいは、記憶というのも情報としてその辺に漂ってる、、、と言う人もいます。

いずれにせよ、私が「想い出した」と感じている記憶や感覚も、わたし個人のものというより、集合的なものだと捉えています。