私の過去生の物語を綴っています。
想い出された記憶と感情
私は生まれ変わるたびに、ノロとして神と人とを繋ぐ役割をしてきました。
琉球王朝では、女性が神と繋がり、男性がそれ受けて政をするということが当たり前に行われていたのです。
でも琉球が薩摩藩に攻め入られた後、神と繋がって行う政治を廃するよう強いられたようです。
不要になったノロたちは処刑されました。
私はその時17歳で、霊力は高かったようですが、時代の波には抗えませんでした。
年上のノロたちが草地の小屋に閉じ込められて食事を与えられずに餓死させられるのを、小屋の外で見ていました。
何もできない自分への悔しさと、自分が生きていることの罪悪感とでいっぱいでした。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい‥‥という言葉と涙が止まりませんでした。
私自身は、そこで処刑されて命を奪われるという末路ではありませんでした。
琉球王朝時代、私は何度生まれ変わってもノロとして生きていました。
そのたびに、ずっとずっと一緒だった龍がいました。
その龍を、封印しなければならなくなりました。
龍はすべてを解っていて、封印されることに同意してくれました。
直接封印したのは私ではありません。
がっしりとした体躯の魔導師でした。
龍は私としかコミュニケーションが取れないので、私は生かされたのです。
私の霊力も封印されました。
そして、魔導師は私を言葉に尽くせないほどに辱め、いたぶりました。
今を生きる私に遺されていたカルマ
この時代に遺された私のカルマはたくさんあって、それらはとても強く、奥底の方に仕舞われてありました。
多くの、特に見知ったノロたちへの罪悪感。
神を人と繋ぐことができなくなれば、人は神を忘れるだろう。
自分の役割を果たせない悔しさと、神様に対して申し訳ないという想い。
自分の力が足りずに封印されることになった龍に対する罪悪感。
そして自ら封印されると同意してくれたことや、これまでの感謝。
そして、魔導師への憎しみ。
憎しみ、という言葉で片づけてしまうには足りないほどの強い感情。
殺したい殺したい殺したい殺したい、、、という言葉が頭の中でずっと鳴り響いていました。
今生、私はどこか自分に自信を持てず、他者からの評価をとても気にして生きていました。
他者を傷つけるのではないか、という不安もありました。
意識の深いところで、私は幸せになってはいけない、と思っていました。
龍を封印した時の罪悪感から生じた想いです。
誰といても、完全に無防備になることができませんでした。
家族でも恋人でも友人でも、手放しで甘えるとかさらけ出すということは、とても怖いように思えるし、そんな感覚にはなれませんでした。
褒められたり感謝されると逃げたくなりました。
ふと、自分はいつか罪を犯すのではないか、という考えが出てくるのです。
ニュースなどで、逮捕された人の知人がインタビューを受けて「良い人だったんですけどね~」とコメントしているのを見ますが、今私を褒めてくれた人がいつかこんな風にテレビで証言する日が来るかもしれない、と思うのです。
自分でもなぜそんな考えが出てくるのかずっと不思議でした。
全てが過去生からのカルマだったとは限らないとは思います。
生まれてから今までの間に創り出したエゴももちろんあるでしょう。
でも、「人間とは何か」を知りたかった私にとっては、人生を創っているものの一端が自分自身の「想い」であることを身をもって知ることができ、それらを手放す前と後の変化を感じることができるというのは興味深いことです。