ai's story

〜意識の探求者〜

過去生の物語 ~ノロの時代②~

私の過去生の物語を綴っています。

 

blog-of-ai.hatenablog.com

 

想い出された記憶と感情

 

私は生まれ変わるたびに、ノロとして神と人とを繋ぐ役割をしてきました。

琉球王朝では、女性が神と繋がり、男性がそれ受けて政をするということが当たり前に行われていたのです。

 

でも琉球薩摩藩に攻め入られた後、神と繋がって行う政治を廃するよう強いられたようです。

 

不要になったノロたちは処刑されました。

私はその時17歳で、霊力は高かったようですが、時代の波には抗えませんでした。

 

年上のノロたちが草地の小屋に閉じ込められて食事を与えられずに餓死させられるのを、小屋の外で見ていました。

何もできない自分への悔しさと、自分が生きていることの罪悪感とでいっぱいでした。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい‥‥という言葉と涙が止まりませんでした。

 

私自身は、そこで処刑されて命を奪われるという末路ではありませんでした。

 

 

琉球王朝時代、私は何度生まれ変わってもノロとして生きていました。

そのたびに、ずっとずっと一緒だった龍がいました。

その龍を、封印しなければならなくなりました。

龍はすべてを解っていて、封印されることに同意してくれました。

直接封印したのは私ではありません。

がっしりとした体躯の魔導師でした。

龍は私としかコミュニケーションが取れないので、私は生かされたのです。

私の霊力も封印されました。

そして、魔導師は私を言葉に尽くせないほどに辱め、いたぶりました。

 

 

今を生きる私に遺されていたカルマ

 

この時代に遺された私のカルマはたくさんあって、それらはとても強く、奥底の方に仕舞われてありました。

 

多くの、特に見知ったノロたちへの罪悪感。

 

神を人と繋ぐことができなくなれば、人は神を忘れるだろう。
自分の役割を果たせない悔しさと、神様に対して申し訳ないという想い。

 

自分の力が足りずに封印されることになった龍に対する罪悪感。
そして自ら封印されると同意してくれたことや、これまでの感謝。

 

そして、魔導師への憎しみ。
憎しみ、という言葉で片づけてしまうには足りないほどの強い感情。
殺したい殺したい殺したい殺したい、、、という言葉が頭の中でずっと鳴り響いていました。

 

今生、私はどこか自分に自信を持てず、他者からの評価をとても気にして生きていました。
他者を傷つけるのではないか、という不安もありました。

意識の深いところで、私は幸せになってはいけない、と思っていました。
龍を封印した時の罪悪感から生じた想いです。

誰といても、完全に無防備になることができませんでした。
家族でも恋人でも友人でも、手放しで甘えるとかさらけ出すということは、とても怖いように思えるし、そんな感覚にはなれませんでした。

褒められたり感謝されると逃げたくなりました。
ふと、自分はいつか罪を犯すのではないか、という考えが出てくるのです。
ニュースなどで、逮捕された人の知人がインタビューを受けて「良い人だったんですけどね~」とコメントしているのを見ますが、今私を褒めてくれた人がいつかこんな風にテレビで証言する日が来るかもしれない、と思うのです。
自分でもなぜそんな考えが出てくるのかずっと不思議でした。

 

全てが過去生からのカルマだったとは限らないとは思います。

生まれてから今までの間に創り出したエゴももちろんあるでしょう。

でも、「人間とは何か」を知りたかった私にとっては、人生を創っているものの一端が自分自身の「想い」であることを身をもって知ることができ、それらを手放す前と後の変化を感じることができるというのは興味深いことです。

過去生の物語 ~ノロの時代①~

前回からの続きです~

 

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ノロの時代

 

その時の過去生は、500年以上前に生きていた琉球王朝時代のノロでした。

沖縄にはユタとノロという2通りのシャーマンがいます。

  • ユタ ‥ 民間霊媒師のような存在。人々に寄り添って霊的問題のアドバイスや占いのようなことをする。
  • ノロ ‥ 神人(かみんちゅ)を言われる国家公務員のような存在で、祭祀を司り、神と交信する。

ザックリ言うとこんな感じ。

 

私は久高島という離島にいた、クニチャサというノロでした。

クニチャサというのは個人名ではなく、役職名のようなものです。

久高島は聖なる島とも呼ばれていたため、当時の琉球王である尚徳王が参拝に来られ、そこで見初められて寵愛を受けることになります。

そして尚徳王が久高島に滞在している間に本島ではクーデターが起こり、尚徳王は追われる身となるのです。

クニチャサは愛する尚徳王が失脚したことに胸を痛め、自分を責め、周りからも責められ、その周りは自分の両親も非難するので、その申し訳なさ、そして愛する尚徳王への愛のやり場のなさ、などいろんな気持ちを抱えてどうすることもできず、自死します。

島の大きなガジュマルの木で首を吊るのです。

多分、その時お腹に子を宿していたように感じます。

 

沖縄の久高島にも行きましたが、散策を初めて早々に、とある場所の隅に植えられたガジュマルの前で数十分も泣き続けました。

その時は自分がなぜ泣いているのか分からず、ただただ込み上げてくる感情を涙という形で表現していただけですが、私の魂は想い出していたのでしょうね。

 

ちなみに、その一年ほど前に、部屋に置く植物が欲しいと思って詳しい友人に相談したところ、ガジュマルが育てやすいと言われ購入しました。

そして数か月で枯らしましたw

マニュアル通りに世話をしていたんですが、、

友人には、え?ガジュマルが枯れるの?と驚かれました(笑)

 

遺していた感情と今にあるカルマ

 

クニチャサはいろんな未消化の感情を遺していました。

私は今回の人生では未婚です。

お付き合いしていた男性はそれなりにいましたが、結婚したいと思ったことはありません。

相手が盛り上がっていたこともありましたが、こんなもんなのかな、という冷めた感情でした(当時の彼にはごめんなさいですがw)

子どもを産みたいと思ったこともありません。

いたらいたで楽しいだろうな、くらいです。

 

「私は女だ!女性として見て欲しい!」という想いも遺していました。

ノロは聖職なので、王に愛されてはいても周りからはただの女性として見られることはなく、聖職者が地に落ちた、というような扱いをされていたのです。

 

今の人生では、周りからどう見られているか、をとても気にして生きてきました。

それを創ったのがクニチャサのカルマだけなのかは分かりませんが、こうあるべき、という自分と、それを壊してしまいたい自分と、矛盾した感覚は持っていました。

 

 

クニチャサだけでなく、ノロとしての人生はまだまだ続きますw

 

 

 

過去生の物語 ~導入編~

プロローグ

 

いま私が生きている人生には、過去生から持ち越したたくさんのカルマがありました。

それらを手放すときに出てきた、或いは、カルマを残したわけではないけれど判った過去生を綴っていきます。

長い長い、現在にまで続くファンタジーストーリーとなっておりますのでw、何度かに分けて記していきます。

 

ちなみに、、、

私は、時間は過去・現在・未来と直線的に流れているという感覚ではないので、便宜上「過去生」と表現をしていますが、「同時にすべて」が「今」に在る、と思っています。

 

 

過去生との出会い

 

2022年、私は4回沖縄に行きました。

行くことになるんだろうな、という感覚はありましたが、初めての沖縄旅なんだしもっと良い季節になったら、、と抵抗してみたり(笑)

でも、あまりに呼ばれるので、諦めて1月の沖縄に旅立ちました。

地理も知らないままで、とりあえずスマホで調べて時間的に行けそうなところに行く、という旅でしたが、行く先々で魂が震えるように泣きました。

 

3回目の沖縄旅を終えて帰ってきた後、友人の紹介で出逢った方に「分け御霊ですね」と言われました。

ワケミタマ、、、?

となりましたが、同じ過去生を持つ人、というようなことだそうです。

(私はスピリチュアル的な知識をあまり持っていないため、知らない言葉に出会うことも多く、その都度戸惑いながらも新鮮ですw)

ひとたびそう認識すると、その後時間をかけて生々しい感情を思い出すことになりました。

 

そしてその時の人生で遺した強い感情が、今の人生に影響していることを知りました。

 

 (続く)

人間関係で困った時、イライラする時、誰かのせいにしていませんか?

 

例えば、

 

「子供が引きこもっていて、人並みに就職して結婚して幸せになれるか心配」

「夫がちっとも話を聞いてくれない。もっと私の気持ちに寄り添ってほしい」

「部下が使えないやつばかりだ。普通に考えたら分かるだろう(怒)」

 

ありがちな不満や不安ですが、大抵「相手が変わるべきだ」というのが前提です。

自分はまともなことを言っていて、相手がもっと~~である必要がある、とか、もっと~~であってほしい、と思っているのです。

それはつまり、相手をコントロールしたいということです。

色々とアドバイスしたり、お膳立てして、当の相手が乗り気にならなければ、

「あなたのために言ってるのに!」

「ただ普通のことを言ってるだけなのに」

なんて思ってしまいます。

 

 

いえいえ、まずは問題を整理してみましょう。

 

「誰が」「何に」困っていますか?

 

引きこもっていて現在幸せではない、将来が見えないのは子どもです。

親の課題は「引きこもっている子どもにどう対応するか」です。

 

夫が妻の話を聞かない、寄り添わないのは夫の問題です。
もっとも、夫が問題と思っているかも疑わしいですが。。
そのせいで妻がイライラしていて不愉快と感じているなら、それが夫の課題です。

妻の課題は「寄り添ってくれない夫にどう対応するか」です。

 

部下が、考えれば分かることを考えず、そのせいで上司の信頼を得られないなら、それが部下の課題です。

上司の課題は「考えない部下にどう対応するか」です。

 

 

何よりすべてに共通するのは、

「自分ははぜそう感じるのか」

「自分の何が、この現実を引き寄せたのか」

という視点が必要だということです。

 

この視点に気付かずにいると、同じような状況、感情を何度も経験することになります。

 

 

誰かのせいにしておけば、自分は被害者でいられるので楽ちんです。

でも解決はしません。

 

主語はいつだって「私」です。

他者にネガティブな感情を抱いたときは、自分を見つめるチャンスなのです。

 

自分と向き合うこと

目醒めたいと思っている人がYouTubeなどを観て、

「この人が言ってることは本当だ!」

「そうか、これが真実か!」

と心を動かされる…そんな人が私の周りにもたくさんいます。

 

そういう人ほど、とってもたくさんの動画を観ておられるように思います。

 

そして、

「やっぱりワンネスだよね〜」

なんて仰います。

 

 

以前に中道という話を書きました。

 

https://blog-of-ai.hatenablog.com/entry/2023/09/17/212210?_gl=1*7zz48z*_gcl_au*MTA3MTU4NjA5Ny4xNzA2MTk4MTI1

 

 

人間の思考は基本的に、

 前 ⇔ 悪

 好き ⇔ 嫌い

 事実 ⇔ 誤りか

 真実 ⇔ 嘘

などという二元軸のどこかに置かれます。

 

「これは好き」

だと思うなら、好きではないものがあるということです。

 

「これは良いことだ」

と思うなら、良くないこともあるということです。

 

「これは真実だ!」

という考えは同時に

「真実ではないことがある」

という考えを生み出しています。

 

 

「これは○○だね」

という何気ない感想はつまり

「○○ではないこと(もの)がある」

ということでもあるのです。

 

 

これは、分離です。

 

ワンネスを表現することは難しいですが、すべてがひとつである、ということならば、

その人が言っていることも、

他の人が言っていることも、

あらゆる人の発言や考えも、

すべてがひとつなのです。

 

これは事実で、それは間違っている

という考えは二元軸にあるものです。

分けているのです。

 

すべての人の考えや想い、記憶、経験…

そのすべてがひとつであること。

渾然一体。すべてでひとつ。

 

「何かを信じることは分離である」

という考えがあることもまた、ワンネスの中のひとつですねw

 

そして目醒めたいのなら、YouTubeばかり観るのではなく、とことん自分と向き合ってください。

答えは自分の外にはありません。

宇宙と人間

よく「人間の身体は宇宙のようだ」なんて言われますが,

実は本当にそうなんですよね〜というお話です。

 

 

わたし達の身体は60兆個だか37兆個だかの細胞でできています。

つまり、たくさんです(笑)

 

それぞれの細胞には、各々の役割があります。

細胞たちは、筋肉の細胞は筋肉に、血管の細胞は血管にと、自分の居るべきところで、粛々と自分の役割を果たしています。

 

細胞によって構成された肉体に、電気信号という動きが生まれます。

 

 

「この細胞めっちゃすごい!」

とか

「この細胞いらなくない?」

とか

「このスペシャルな細胞だけがたくさんあればいいやん!」

とかにはならないのです。

 

 

私たち、地球の80億人の人間も、そこに在ることが役割なのです。

一つひとつの細胞が身体を創っているように、

一人ひとりの人間が地球を創っているのです。

 

そこにエネルギーの動きが生まれるのです。

 

偉い細胞も、不要な細胞もないように、

偉い人間も、不要な人間もいないのです。

 

良いも悪いもなく、優秀も劣等もないのです。

それらはただの比較です。

細胞同士を比較することに、なんの意味もありません。

 

渾然一体。すべてでひとつ。

 

一人ひとりが地球を創っている、というだけです。

湿疹と意識の関係

私は幼少期からアトピー性皮膚炎でした。

大人になって落ち着きましたが、何かのきっかけで湿疹が出やすい体質です。

 

この年末年始はナッツでした(笑)

素焼きミックスナッツが美味しくて、毎日少しずつ食べてたんです。

しばらく経ったころ、頬に痒みが、、と思ったら、顔全体に広がり。。

こりゃあナッツのせいだな!と気づいて食べるのを止めました。

 

なのに、炎症が引かないんです。

ナッツをやめてから1週間、2週間と経っても湿疹の状態が変わらないので、さすがに「これは自分で創ってるな」と気づきました。

 

 

私の何が、この湿疹を創っているのか。。。。

 

 

と炙り出したところ。

 

嫌だったんです、この「顔に湿疹が出ている」という状態が。

 

 

私はものごころついた頃からアトピーのせいで病院に通って薬を塗ることが日常で、
半袖や水着になると人の目が気になるし、親は心配するし、なにより自分の見た目が嫌でした。

今回も湿疹に対して、意識の奥の方で「嫌だな~」「何とかならないかな」と、とてもネガティブな想いを向けていました。

これが、「湿疹が嫌だな」と思う状況を引き寄せ続けていたのです。

湿疹のきっかけはナッツアレルギーでしたが、その状況が続いていたのは、私の意識が創っていたからでした。

 

それに気づいたら、湿疹はスーッと引いていきました。

 

今では乾燥の季節にもかかわらず、お肌の状態は良好です(^^♪

 

 

体の不調って、どうしてもネガティブな想いを抱いてしまいますが、もしかしたら、それが不調を長引かせているのかもしれませんね。