昨年からいくつもの過去生が分かってきました。
例えば琉球王朝で最後にノロだった時には、壮大な物語の末にずっと一緒だった龍を封印しました。
龍も全てを理解して合意の上だったとはいえ、
私は大きな罪悪感を遺していました。
それが今生では「私は幸せになってはいけない」というカルマになっていたのです。
そして実際、幸せになりたいという発想になったことがありません。
穏やかに生きていきたいなあ、という程度です。
5歳の時に飢饉のために人柱になった女の子だった過去生もありました。
どういうことかはよく分かっていなかったけれど、
みんなの役に立つということは理解していたし、
不満もなくその役を引き受けたのです。
でもやはり「もっと生きたかった」という想いが遺りました。
私は今生、特に子供のころは生きているという感覚がとても薄くて、
死にたいわけではないけれど、
全てを終わらせることは簡単だ、といつの間にか自然に思っていました。
イラクの内戦の少年兵だった過去生では、
壕から出るのが怖くて、その恐怖に打ち勝つことが出来ませんでした。
出たら死ぬ、目立つと撃たれると信じていたからです。
そして今生、私は目立つことが本当に嫌でした。
外見はもちろん、あらゆる場面で「〇〇長」と言われるような名前が表に出る立場は避けて生きてきました。
任せたいと言っていただくこともあるのですが、
能力云々よりも、目立ちたくないので遠慮するという具合です。
SNSで名前が出るのも嫌でした。
またその少年兵だった時は、家族にもっと甘えたい、という想いも遺していました。
私が人に甘えるのが苦手、というか甘え方が分からなかったのはこの時のカルマがあったからのようです。
自身の体験を通して、人生を終えた後に遺された想いは、
いずれまた自分で回収することになると解りました。
最後に、私のこの理解をさらに深めてくれた書籍をご紹介します。